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最後の橘氏。 帝の血筋の皇族が臣籍降下(苗字をもらい、帝の家来になること。)し、橘朝臣を名乗ったのが由来。 だが、この一族、非常に影薄い。江戸中期の学者たちも 「?????www」「え、あいつ影薄くね?・・w」「あいつ何かやったっけ?」 などと疑問点を持たれる始末。あの本居宣長でさえも 「なんでかはわかんないけど、多分ならわしなのかなぁ?」 といった具合である。 ちなみに、橘氏が政権を築いたのは、知られている限りでは橘諸兄政権のみである。が、これも藤原南家の藤原仲麻呂がひゃっは〜!したため失脚している。息子も反乱を起こしひゃっは〜!しようとしたが(奈良麻呂の変)見事に鎮圧されている。 ちなみに、系譜は定かではないが楠木正成というチート武将は橘氏の末裔を自称している。
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