【心霊?】奇妙な写真が撮れました【カメラ不調?】
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幸
SHF31
07/29 03:59
【起】
7月28日深夜0時35分頃、職場の飲み会の二次会後に何となく撮影した写真に奇妙なものが写ってました。
【承】
詳細
>>2
>>3
>>4
>>5
>>10
>>11
>>12
【転】
検証結果
>>18
【結】
慰霊と参拝
>>15
>>19
>>20
>>21
>>22
>>23
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幸
SHF31
08/15 11:08
>>38
そして、古川医師のお墓へ
長崎でオランダ人から蘭学を学び、最先端の西洋医学を身に付け、会津戦争では優れた外科手術で多くの傷病兵を救った偉人でした。
残念ながら会津戦争後にチフスにかかり亡くなったそうです。
こちらの古川医師のお墓がある古川家のお墓を見たら、どうやらキリスト教徒らしく、うちもキリスト教徒なので何かしら縁を感じます。
古川医師が長崎でキリスト教徒に改宗したのだろうか?
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幸
SHF31
08/15 10:52
>>37
昨日の事から藩医「古川春英」が気になり、本日古川医師のお墓に行く事にしました。
最初に、本日は8月15日終戦の日なので、地元の忠霊塔へ行き合掌。
塔の揮毫は、会津出身の陸軍元帥で後の偕行社会長になる「畑俊六」によるものです。
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幸
SHF31
08/14 23:40
>>36
さらに続報
今、俺の部屋の網戸にセミが来ています。
窓明かりに寄ってきただけと言ってしまえばそれまでなのですが、
もう、なんだか最近の出来事から普通のセミに思えなくなってくるんですよね。
死が近いセミなのか少し落ち着きが無い動きをしています。
セミが例の藩医だとすれば、まだ俺に何か伝えたい事があるような気がしてなりません。
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幸
SHF31
08/06 21:15
>>35
続報
昨日、KoziさんとKozi子さんが僕の話をしていたとき、福島県方向の窓(網戸?)に一匹の蝉が止まっていたという。
「あ、例の藩医かも」と...
そして、一昨日もKoziさんの部屋の窓に蝉の死骸があったそうです。
福島県方向の窓に....
普通、蝉って屋内に入ってきませんよね....?
なぜ入ったんだ....
鳥肌が立ちました。
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幸
SHF31
08/05 21:27
>>30
追記
Kozi子さんから今日言われたのが、
「もしかして、このお寺は傷病兵を手当てする場所だったのでは?
セミは手当をした藩医の化身かも。セミは死んでも脱け殻が漢方薬になったりするから。」との事でした。
この寺院は戊辰の戦時に焼失したので野戦病院だったかはわかりませんが、藩医だとすれば“古川春英”という人かも。
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幸
SHF31
08/05 21:20
>>33
大歓迎でしたね(笑)
これも知らなかった事なので。
天照大皇神様も自衛隊を日本の正式な防人と認めてるんでしょうね。
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kozi
iPhone iOS11.2.6
08/05 21:14
>>25
歓迎されてるのう
(´Д`)
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幸
SHF31
08/04 23:23
>>31
最後に、会津に残って戦った斎藤一率いる二十数名の新撰組隊士たちの殉難の地へ。
例え出身地はバラバラでも、この会津の地で心を一つに戦ったのであれば皆、忠勇義烈の会津武士だと思います。
ここで今回の慰霊は終わりです。
あの写真に写った人たちが自分に伝えたかったのは、「忠義の為に戦った自分たちの事をもっと知ってほしい」という事だったのかもしれませんね。
ちょうど戊辰150周年の節目に。
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幸
SHF31
08/04 23:09
>>30
会津武士と共に戦った新撰組の斎藤一の墓も境内にあるのでお線香を立てて合掌。
斎藤一は、戊辰戦争後に警視庁に入庁。
薩摩士族の乱を発端とする西南戦争に従軍し、同じく警視庁に入庁した会津士族らと共に戦った。
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幸
SHF31
08/04 22:53
>>29
城を後にして、今度は戦で散華された会津武士たちが眠る阿弥陀寺という寺院にある「会津東軍墓地」へ。
例の写真に写った人たちの遺骸も此処に埋葬されているのだろうとお線香を立てて合掌。
合掌したその時....
線香を立てた焼香台のすぐ傍らにある小さな木に止まっていたセミが勢いよく鳴き始めました。
しかも、そのセミ
手が届く距離にも関わらず不思議と逃げないのです。
Kozi子さんが言うには、「蝶がいればそれが会津武士の化身」との事なので、
もしかしてあのセミは会津武士の化身で、「ありがとう」と言われていたのかもしれないですね。
Kozi子さんは「セミは蝶より上の存在なので、(普通の武士よりも身分が上)お殿様かも」との事なので、まさか会津藩主の松平容保がセミの姿を借りて現れたのかも....
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幸
SHF31
08/04 22:33
>>28
博物館の後は、霊がここから来たと思われる城に向かいました。
お城は夏空の下、いつものように佇んでいました。
そしてお城に一礼。
「会津武士の皆さん最後までよく戦われました。」
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幸
SHF31
08/04 22:28
>>27
もちろん兼定以外も美しかったです。
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幸
SHF31
08/04 22:23
>>26
和泉守兼定が見れた...
美しかった...(恍惚)
あ、撮影は可能エリアと撮影禁止エリアに別れてます。
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幸
SHF31
08/04 22:18
>>25
撮影現場周辺を離れ、今度は城周辺にある県立博物館へ。
刀剣の特設展示をやっています。
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幸
SHF31
08/04 22:10
>>24
食事を終えると、アーケードに自衛隊車両が!
82式指揮通信車と偵察バイクは胸アツでした。
自衛官募集の広報活動だそうです。
これもミリタリー好きの俺への天照大皇神のサービスでしょうか?
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幸
SHF31
08/04 22:00
>>23
商店街に戻ると、太鼓と篠笛の音色に誘われてもう一度神社へ。
神主さんが神楽舞ってるのを見れました。
その後食事へ
撮影現場の向かいにある「桐」でソースかつ丼をいただきました。
美味しゅうございました。
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幸
SHF31
08/04 21:43
>>22
寺院の境内にある、戦国時代にこの地を治めていたキリシタン大名
「蒲生氏郷」の墓碑もあります。
この蒲生氏郷は“レオン”という洗礼名を持っていて甲冑が痺れるほどカッコいい。
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幸
SHF31
08/04 21:33
>>21
次に、電波塔の真下にある寺院へ。
この寺院は、城の外郭の中に特別に置いていてもらったのだそうだ。
その関係で葵の御紋がついている。
城の城主である藩主松平容保が詠んだ歌の碑がある。
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幸
SHF31
08/04 21:25
>>20
参拝後、前回撮影した場所と同じ場所・同じ服装で撮影。
ロケーションは当時夜でしたが、これが撮りたかったんです。(※1枚目のアングルと構図)
夜の闇に聳え立つ電波塔が悪魔的な魅力を出していたのです。
昼間はただの電波塔です。
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幸
SHF31
08/04 21:18
>>19
厳かな雰囲気のある拝殿で、立派な神楽殿もありました。
御清水で手洗した後、一礼して二千円ほど奉納し柏手打ってまた一礼。
「よろしくお願いします。」
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